ショウヘイはモーツアルトのソナタをよれよれ弾いていた。
母親は夕飯の用意をしながらショウヘイが練習をはじめたことに満足していたが、自分はピアノがひけないから、ショウヘイがよれよれ弾いていてもそれでいいのかどうか、よくわかっていなかった。
何度弾いてもつっかかる箇所でもたもたしている時、突然、ショウヘイは体中を叩かれたような感覚を覚え、「うわっ」ととびあがった。そして何がおこったかわからぬうちに、再び自分の指がピアノを弾き始めた。しかし、今度は自分の意志ではなかった。そのメロディーはどう聞いてもモーツアルトには聞こえなかった。母親が部屋の扉を開けた。
「何、その曲?」
「えっ?わからへん」
そういいながらも、指は流暢にジャズのスタンダードを奏でる。
「あんた、こっそりそんな関係ない曲練習してたん?」
「ち、ちがうって」
「ほな、なんで弾けんの?」
「わからんよー!」
「いいかげんにし!」
母親は弾くのをやめさせようと、ショウヘイの腕をひっぱった。しかし、指は鍵盤から離れることなく、ますます活発に動いている。
(うぉー、生き返るぜ!)
「えっ?」
ショウヘイは何がなんだかわからず、人の声のようなものが聞こえたのも、幻聴だろうと思った。母親は意地でも弾き続けているように見える息子にヒステリックに言った。
「まじめに練習曲せえへんのやったら、もうやめ! 先生にやめるって電話するわ!」
そう言って部屋の扉をバーンと閉め、出て行った。
「ああ、せいせいするわ、これでやめられる」
ショウヘイの気持とは関係なく、指は楽しげにピアノを弾き続けた。


つづく


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